アメリカ留学体験レポート、今回のトピックは、アメリカの大学生についてです。

同じ大学生といえども、やはり国が違えば日本とは様々な点で異なるようでした。大切なのは、違いを受け入れて柔軟に対応すること!と感じた留学体験レポートです。

是非ご覧ください。

はじめに

私は現在アリゾナ州の州立大学で英語を学習しています。

在学期間は1年を過ぎ、語学学校の雰囲気や大学内の雰囲気にも慣れてきました。私が日本で学生をしていたのは20年近くも前のことですので、改めて大学の雰囲気を楽しんでいます。

と言っても、ここはアメリカの大学であるため、日本と比較してかなり勝手が違います。さらには日本の常識というものが通用しないこともしばしば。文化の違いと言えばそれまでですが、私が経験してきたアメリカの大学での常識は確かに存在します。

今回は、アメリカの大学での常識や、日本の大学などの教育機関との異なる部分を実体験に基づいて紹介したいと思います。私が経験したことであり、なおかつ私が在学している学校での話ですので、必ずしもアメリカすべての学校に適応するとは限りませんが、参考程度にしていただければと思います。

キャンパスに静かな場所は存在しない?!

私が痛烈に感じていることは、アメリカの大学には「静かな場所はない」ということです。日本であれば集中して勉強したいときは、大学の図書館に出向くでしょう。図書館は静寂そのもので、携帯電話のバイブレーションの音すらも気になるほどです。

しかし、アメリカの図書館はそういうわけにはいきません。朝でも、昼でも夜でも図書館が静かになることはありません。当然、集中して勉強をすることは至難の技。周囲との音を遮断するために、嫌でも音楽を聴きながら勉強するしかないのです。

私の学校の図書館は5階建ての構造になっており、上の階に行けば行くほど静かなフロアというルールがあります。実際に4階と5階には立て看板があり「Quiet floor!!」と書いてあります。さらには各テーブルには控えめながら貼り紙がしてあって「電話・おしゃべり禁止」と書いてあります。

日本人の感性であれば、このような場合は静かにするのが当たり前でしょうが、アメリカ人の学生たちは関係なくおしゃべり、音楽、携帯電話をやってのけます。ひどい人は静かなフロアでポテトチップスをバリバリしながら、映画を見ながら笑っているほど。

もちろん、なかにはアメリカ人であっても静かにしている人や、うるさい人に怪訝な顔をする人もいますが、私の大学においてはほとんどの学生は静かにしたり、周囲に気をつかうという配慮はしません。

例えば、図書館でアメリカ人の学生がひとりでいて、なおかつ勉強をしていない場合は、まず携帯電話で通話を始めます。ふたりいる場合はおしゃべりが始まります。3人いると悪ふざけが始まります。決して冗談ではなく、実体験としてこのようなことを何度も目にしてきました。

私は授業が始まる8時より前に1時間程度図書館で勉強をしてから授業に行っていますが、24時間空いている図書館は学生が勉強のために寝泊まりしていたり、酔いつぶれて寝泊まりしていることも多く、朝は無法地帯になっていることがあります。

日本であれば退出を促されるでしょうが、アメリカでは図書館で働く人は基本的に「我、関せず」スタイルのため、学生は自由に過ごしているようです。この背景には、なんでも「権利」を主張するアメリカ人独特の考え方があるため、自然に人に関与しない空気になっているのかもしれません。

このような経験から、私は図書館を利用する際は、まず始めに「周囲に2人以上の集団がいないか」ということと「周囲の学生は勉強に集中しているか」を確認してから、席を取るようにしています。

そうでもしないと、すぐにおしゃべりや携帯電話が始まってしまうからです。静けさを求めて勉強したいのならば家ですればいいと思われるでしょうが、それはそれで問題があって苦渋の選択なのです。

この問題は、図書館に限ったことではなく、カフェテリアや大学内のテーブルなどどこでも同じ問題は発生します。ひとりで静かにコーヒーを飲みながら集中して勉強できるような環境はほぼないと思ってもらっていいでしょう。

しかし、これを逆手に取って、広いキャンパス内で自分だけのスポットを探すのもいいかもしれません。ちなみに私は学生が少ない朝の時間以外は、図書館やカフェテリアを利用しないようにしています。

アメリカの大学すべてがこのような状況ではないと分かっていますが、アメリカ人の学生からしてみればこれがごく普通であり、いちいち日本人の感覚で捉えてはいけないのかもしれません。

アメリカ人の学生に囲まれて生活をしていると、日本人の感覚のままでは疲弊してしまうことはよく起こります。予めの覚悟と事前知識として、このようなことを理解しておくと少しは楽になると思います。

アメリカ人の”ノリ”を学ぼう!

アメリカ人の学生と接していて毎回思うのが「いつだって明るい」ということがあります。とにかくエネルギッシュで、活気に溢れているとはこのことだというような人ばかりです。

日本人のようにたまには落ち込むこともあるのかと思っていても、私の周辺のアメリカ人たちはいつも明るく元気いっぱいです。人見知りで、誰とでも仲良くできない私のような人間からすれば、ときにそれが羨ましく思えるのですが、ときに負担に感じることもあります。

例えば、どうしても授業前に済ませておかないといけない課題に取り組んでいた時に、教室内でいわゆるどんちゃん騒ぎが始まってしまいました。フットボールの話が盛り上がって、アメリカ人同士がボールに見立てた物を投げ合うというような典型的なノリというやつです。

当初私は「それにしてもいつも元気だなあ」と思っていた程度だったのですが、課題に追われる私にもそのノリがやってきてしまい、パス回しに参加しろというのです。私はその場のノリに参加するよりも、課題のほうが優先されるべきだったので、「無理だー!」と断ったのですが、そういう反応が面白いらしく、要求はエスカレート。

結局、くだらないパス回しに参加して課題は後回しになる始末でした。こういう時は、日本人の感覚は通用しないため、アメリカ流の対応で乗り切るしかないということを感じました。それにしてもアメリカ人の学生たちはいつも元気で、何事も楽しそうで羨ましく思えてしまいます。

授業中でも食事OK?!

日本人的感覚でいて驚いたことのひとつに、授業中に食事をしながら講義を聴いている学生が結構います。もちろん先生によって禁止したりするそうですが、私が受けている授業では特に何も言われなかったため、自動的に「飲食可」になったようです。

そもそも、先生がガムを噛みながら、コーヒーやらお茶やらを持ち込んでいるくらいだから、アメリカの大学では誰も気にしていないのかも知れません。日本では、問題になってしまいそうなスタイルを貫く先生はたくさんいます。

朝8時から始まる授業は、多くの学生にとって厳しいものらしく、寝癖をつけたまま滑り込むようにして教室にやってくる人や、スッピンノーメイクでやってくる女子もたくさんいます。

アメリカの女の子はほぼスッピンのため、メイクに時間がかからず、さらには髪はお団子ヘアーにしている人が多く、ついついギリギリまで寝てしまうのだそう。その結果、朝ご飯を食べることなくさらには身支度もいい加減なまま家を出てくるそうです。

面白いことに、朝起きて一息つくのが教室だというのです。そこで初めてお腹が空いていることに気がつくらしく、授業中に朝食を摂るというスタイルになるようです。

私のクラスメイトの朝食メニューはリンゴ1個とか、バナナ1本とかが主流。日本のようにコンビニのおにぎりやサンドイッチなどは手に入らないため、このようなお手軽フルーツになるようです。たまに、前日のピザの残りを持ち込む人やポテトチップスが朝食代わりという人もいて、こんなところでも日本との常識の違い、文化の違いを感じることがあります。

日本の大学で同じことすると「出て行け!」と言われそうなことでも、アメリカでは問題ないため、少し感覚が麻痺してしまいそうになりますので、自分の日本人スタイルを忘れないように心がけています。

会話は脱線しまくり!

アメリカ人と一緒に授業を受けていると、とにかく授業が脱線します。これにはとにかくおしゃべり好きというアメリカ人独特の性質が働いているようで、先生も先生でおしゃべり好きなので学生と一緒になってすぐ話に華が咲いてしまいます。

アメリカでは朝のあいさつからおしゃべりに発展するパターンが典型的です。相手が誰であろうとも「おはよう!調子はどう?昨日は何してた?」と尋ねて、答える側は質問されたことに対して10倍くらい喋り始めます。それが多くの人と繰り返されるため、授業開始10分前に来ても間に合わない程です。

いざ授業が始まったら先生とのディスカッションが始まり、それはそれですぐに話が本題から逸れてしまう傾向があります。これにはアメリカ人の話の組み立て方に遠因があると思っています。アメリカ人は何か意見を述べるときに必ずと言っていいほど主張のあとに「Because」と「For example」を用います。

この単語の後には、実体験や事実が話されることが多く、この説明が脱線の根幹になっています。実体験や事実を話すうえで、個人的見解が上乗せされ、サイドエピソードが上乗せされ、その人の家族の意見までも上乗せされ、話は膨らむばかり。

この結果、話の論点が膨らみ過ぎて、周囲からは的外れの質問や本題と関係がない指摘などが入り、脱線してしまうのです。もちろん、この議論が良い方向に働くこともありますが、残念ながら滅多に良い方向に進みません。結果的に議論というよりも、おしゃべりになることはごく当たり前です。

このような事態に陥ると話に参加していない人からすると、ただの時間の消費にしかならず、貴重な授業の時間の数十分を無関係なことに使ってしまう事態が起こります。私はこのパターンを毎日のように経験しており、私自身が何かを問われたときには話が脱線しないように慎重に話を組み立てるようにしています。

まとめ

アメリカの学生の常識は国が違うだけあって日本とは大きく異なります。当然ながら良い点もあり、悪い点もあります。しかし、ひとつ言えることとして「必ず順応する」ということがあります。

図書館で静かにできない学生や、授業よりもおしゃべり好きな学生などアメリカの常識に浸かっていると必ず順応し、それが当たり前になってくるものです。多くの日本人にとって、この順応するまでの期間が一番苦痛かもしれません。

私は1年経過してもまだ順応できていないと思っています。相変わらず、日本人的感覚で周囲に静かにしてもらいたいと思ったり、授業中の食事に不快感を覚えたり、まだまだストレスに感じることばかりです。

しかしながら、少しずつではあるものの「それが当たり前」という感覚が芽生えてきているのも事実。仮に、日本人的感覚から、アメリカ人的感覚に移行したとしても、日本人としての繊細な感情や振る舞いは失うことはないでしょう。

いかに少しでも早く文化の違いや常識の違いを、身をもって理解できるかで留学や駐在の充実度は変わると思います。あまり繊細すぎてもアメリカでは疲れます。かと言ってアメリカ流になるのも疲れます。大切なことは、自分のスタイルを見失うことなく文化や常識の違いを受け入れる姿勢を習得していくことです。