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「人生は冒険だからね」

私がアメリカで知り合ったインド系アメリカ人から言われた一言です。これまでにも聞いたことがあるような、ありきたりの台詞だったのにもかかわらず、強烈に印象に残っていて、その日以来この言葉がグルグルと頭のなかを回り続けています。

私は36歳で会社を辞めて、アメリカ留学を決意しました。もともと、いつかアメリカで生活をしてみたいという願望があり、予算や時間の都合がついた今がチャンスと言わんばかりに、なかば強引な感じで渡米しました。

強引な留学だったため、アメリカにきて色々と困難に出くわすことになるのですが、留学を始めて1年ほど経過して、人脈も広がり、人との出会いを通じて様々な人生があることを実感しています。

そんな実体験を通じて「日本よりも人生の生き方が豊富」ということを学びました。新しい人と出会うと、必ずその人の生い立ちや今後の将来について話をするのですが、一言や二言で終わるような人生は誰も過ごしていないのです。

今回は、私がアメリカに留学したことで出会えた人たちの「人生ストーリー」を紹介したいと思います。ごく一部ではあるのですが、まさに「人生は冒険だからね」という生き方をしている人が多いと思えるでしょう。

意思の赴くままに生きる

私の知人に、メキシコからアメリカにやってきて医者、そして弁護士になった人がいます。彼は現在45歳ですが、メキシコで医者になり、生活環境の変化を求めてアメリカに移住しました。

アメリカ国内で通用する医者になるために4年間勉強して、アメリカのドクターの資格を取得しました。この時点で、おおよそ10年という時間を医者になるために費やしたことになります。もちろんこれに付随するお金もかかっています。

アメリカでドクターとして働き始めたものの、アメリカの医療制度や嘘つきの医者が多いことに閉口し、医者としての立場を捨てて、40歳の時に弁護士になることを決意します。働きながら再び学校に通い始め、弁護士の資格を取得しました。

誰もが羨むようなステータスを持っているにもかかわらず、あっさりとそれを捨てて次のステージに向かう姿勢には驚かれることが多かったらしく、周りの人のほとんどは、あきれていたと言います。

驚くべきことに、医者の資格も持ち、弁護士の資格も持っているのに、いまでは車のエンジニアをしています。聞くと、お父さんが車のエンジニアをしていて、幼いことから車を触るのが好きだったらしく、医者と弁護士という道を通って、結局エンジニアとして人生を過ごしています。

いまではロサンゼルスにあるガレージのようなお店を経営しており、車のことでトラブルがあると身軽にアリゾナ州まで来てくれます。私が英語を話せず、聞き取りも苦手なことを知っているにもかかわらず、猛烈な勢いで政治や経済の難しい話をしてくるパワフルな人です。

彼の人生はちょっと極端かも知れませんが、別のアメリカ人の知人にも医者になったにも関わらず、弁護士に方向転換した人がいます。彼らの話によると「医者になれるなら弁護士にもなれる」という説明でしたが、日本人の私からすればただ驚く人生設計なのでした。

自分のルーツを知りながら生きる

アメリカ人の知人に「自分のルーツ」を辿りながら人生を過ごしている女性がいます。彼女はいわゆるクォーターで、母親が日本とアメリカの混血、父親がアメリカ人です。

さらにおじいさんとおばあさんはヨーロッパ系のため、実際におこなったDNA検査では、ヨーロッパ系のDNAも含まれており、25パーセントが日本人のDNAだったそうです。さらにはニュージーランド系の血も混ざっていたらしく、自分自身を構成するDNAに強く関心を持つようになります。

そんな彼女は超がつくほどの優等生で、高校生のときに願書を送った大学ほとんどから奨学金付きの合格通知や、学費も生活費も面倒をみると言われるほどの逸材でした。地元の大学からはスカウトがくるほどで「4年間一銭も必要ない」と言われたほどです。

そんな逸材の彼女が下した決断は、父親のルーツである都市で大学4年間を過ごすことでした。父親はフィラデルフィア生まれ、フィラデルフィア育ち。そこには父親の親戚一同もいるため、フィラデルフィアにある大学に通うことにしました。

その大学は合格通知こそくれたものの、奨学金や優遇措置のオファーはなく、その時だけは経済的な支援をする両親をちょっと困らせたようです。しかし、ここから彼女の「自分のルーツを巡る人生」が始まったのでした。

まずは、父親のルーツであるフィラデルフィアから始まり、母親のルーツを知るためにマイナーで日本語クラスを受講し、メジャーでは心理学を学びました。大学3年生のときには1年間の短期留学でニュージーランドを選択します。

ニュージーランドでは、偶然にも旅行中の母親の親友と合流するなど奇跡的なことが起こったそうです。そして、後々そこでの偶然の出会いが彼女の将来的な夢を作り出すことになります。

短期留学から戻った彼女は専攻していた心理学のコースを首席で卒業します。最も優れた学業もスポーツもできる優秀な学生として表彰されるおまけ付きだったそうです。

その後、すぐに母親のルーツである日本へ行きます。日本では「JETプログラム」と呼ばれる、日本政府主催の国際交流事業のひとつに英語教師として採用されます。そのときの競争率は25倍で、大学時代にマイナーで日本語を受講していたことと、大学から成績優秀で表彰されたことが高く評価されたようでした。

本人はJETプログラムに応募することを見据えて日本語を勉強していたわけではないと言いますが、まさに点と点が線で繋がった瞬間だったと振り返ってくれました。彼女は学生時代から、一見は無駄に思えるようなことでも、将来に必ず繋がると信じていたそうです。

JETプログラムの延長を続けて最終的に3年間日本で過ごした後は、アメリカに戻って医学の道を選びます。その理由こそが、ニュージーランドで出会った母親の親友から受けた影響でした。

母親の親友はドイツで自然治療を主に行っている医師をしており、その人から彼女の母親が、彼女が幼いころから徹底して栄養や健康管理など「自然治療」にこだわっていたことを聞かされ、現代医学に頼らない自然医療に関心を持つようになったのです。

そして彼女は、自分を育ててくれた母親が徹底して行ってきた「自然治療」の医師になるため、その分野がある大学に通い始めました。大学で専攻してきたことと関係がない道を歩んでいますが、いずれも彼女の現在に活かされており、繋がっています。

医師の資格取得後は、自身のルーツであるヨーロッパに渡り、医師としての修行を積むことを考えていると言います。

ニューヨークから世界へ

インドで生まれ、ニューヨークで育った知人の話です。彼こそが冒頭で紹介した「人生は冒険だからね」という言葉を残した本人です。彼はインドで生まれてすぐに両親の仕事の都合でニューヨークへ引っ越してきました。

高校生までニューヨークで生活したものの、ひどい訛りの英語のため、このままだとアメリカでは通用しないかもしれないと指摘されイギリスの大学へ進学。数字に強かった彼はイギリスでは経済学を学びます。

英語の本場であるイギリスにインド系ニューヨーカーが単身で行くことは無謀だったようですが、予想は的中し、渡英後は1年以上言葉が通じない状況だったそうです。英語が話せるのに、英語が通じないことに絶望感だけだったと言います。

イギリスにいる間は、ヨーロッパ各国を巡り将来的にやりたいと思えることを探し歩きますが、なかなかこれと思うものには巡り会えないまま卒業を迎えます。結局、あまり乗る気ではなかったものの、銀行マンとしてアメリカに帰国。配属の都合で1年に1回程度のペースで各州を転々とする生活をします。

そんな生活が5年ほど続いたときに、銀行マンから厚遇だった証券会社へ転職。持ち前の数字の強さと、イギリスでの生活経験が評価され顧客を掴んできました。そんな顧客のひとりにアメリカの有名な俳優がいて、変わった人生を送ってきた彼と意気投合し、プライベートでも遊ぶほどの仲になっていきました。

その俳優の友人の影響を受けて、証券マンを辞めて俳優を志すためロサンゼルスに引越し。アルバイトをしながら俳優としての稽古を積む毎日だったそうです。後発部隊だった彼よりも優秀な俳優は多く、彼にはほとんど仕事はこない日が続きました。

そんな中、ワインのボトルキャップを独自開発し、それを売り歩いているという男と知り合い、これまた意気投合し、一緒にビジネスをすることになりました。アメリカのワイン産地として有名なカリフォルニア州を中心に成功を収めていきましたが、人が多く殺伐としたロサンゼルスでの生活に疲れてしまい、一緒にビジネスをしていた友人のすすめで友人の地元であるアリゾナ州に引越し。

そしていまでは、俳優の友人からの出資を受けて金融系のアプリ制作を手がける会社を経営し、犬1匹と一緒にアリゾナ州で穏やかな時間を過ごしています。いまは最高だと思えるアリゾナ州で生活しているけど、来年はどこが最高と思えるかは分からないとのことでした。

彼は実際にはもっと数多くのことを経験しているのですが、ざっくりとこれまでの人生の流れはこんな感じだと教えてくれました。

私も自分のこれまでの人生を話したところ、どこか共感してくれたのか「人生は冒険だからね」という言葉を口にしたのでした。

実際に冒険さながらの人生を歩んでいる彼の口から出てきた言葉だからこそ、身に染みる言葉になったのかもしれませんが、どんな人生の過ごし方をしてもいいんだなと思えた瞬間でした。

留学をしていなければこのような生き方を知ることはなかったため、この時ばかりはアメリカに来てよかったと思えました。

まとめ

ここで紹介した私がアメリカで出会った友人たちの人生はごく一部です。彼らと知り合って感じた個人的な印象としては「日本人よりも生き方が多様である」ことです。

私の思い込みかもしれませんが、日本では大学を卒業し、大学で学んだ延長の業種にすぐに就職し、そのまま同じ業界で過ごすのが一般的でしょう。近年では転職することは一般的ですが、まだまだ日本の社会には転職に対する抵抗や、フリーランスを支える仕組みが整っていません。

しかし、アメリカでは日本よりも自由自在に生きている人が多く、社会もそれを受け入れる風潮があります。実際にアメリカでは、2020年には働く人の約半分はフリーランスになると予想されています。

私は、日本の常識に捕らわれることなく、視野を広げることこそが留学の魅力であると思います。留学をすれば必ず異国の知り合いができます。そして、その人たちの生き方が本当に勉強になります。通り一遍等の生き方ではなく、その場やその時で決断を下していく人生の過ごし方も「あり」なのです。

留学で何かを学ばなければいけないことはなく、英語を喋れるようにならないといけないこともありません。自分にとって「留学してよかった」と思える何かをひとつでも見つけられれば大成功です。例え、見つからなくても将来必ず「点」が「線」で繋がります。

私は36歳で強引に留学する自分の生き方に自信がありませんでしたが、アメリカに来て大成功だと思っています。なぜなら、これまで自分が考えていた以上に生き方の幅を見つけられたからです。

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